今日から富山に出張です。
用件は19日に富山大で開かれるワークショップに参加する事なのですが、朝から開催なので前泊です。
以前は出張といえば無理にでも空路でしたが、最近は陸路ばかりです。
つうか。準備その他に忙殺されて全日から寝ないでそのまま出発です。orz
今日から富山に出張です。
用件は19日に富山大で開かれるワークショップに参加する事なのですが、朝から開催なので前泊です。
以前は出張といえば無理にでも空路でしたが、最近は陸路ばかりです。
つうか。準備その他に忙殺されて全日から寝ないでそのまま出発です。orz
九月の初めに投稿した論文の査読が戻ってきました。
…。
(´・ω・`)
いちおう、却下ではないのですが、大幅に書き直して再投稿して下さい、との事でした。
λ... がんばるます。
忙しいとか云いながら、京都での巡礼だけはしっかりとお勤めさせていただいております。|ω・)
最近は京女周辺のお寺を中心に回っているのですが、そうすると、大体は東山区にあるお寺ということになります。泉涌寺とか東福寺とかの大物もあるんですが、それらは観光旅行に来たときに行くかも知れないし(そう云っているといつまでも行けないんですが)、紅葉の時期で激しく混雑している恐れもあって、行くならば冬になってからにしようかなと。
その東山区の区役所近くには、これまた有名な建仁寺が有りますが、それは来週にして、建仁寺周辺にある、以前から気になっていた「六」に関係がある変わった名前のお寺を 攻略 お詣りすることにしますた。
まずはじめに立ち寄ったのは、六波羅蜜寺です。この一風変わった寺の名前は、仏教の「六波羅蜜」から採られたのだそうですが、それは、仏教の修行の中で修めるべき、六つの徳目(大まかにいうと: 分け与えること・戒律を守ること・耐え忍ぶこと・努力すること・心を安定させること・智慧をはたらかせること)の事だそうです。
お寺としてはそれほど大きいものでもないのですが、ここでは有名な「空也上人像」を見ることができます。口から阿彌陀如来が六体、飛び出しているという、あのシュールな像です。実物はそんなに大きい像ではないのですが、鎌倉時代に作られたとは思えないような、強烈な実在感にすっかり感激しました。他にも、重文・国宝級の宝物があり、本堂の後ろにある宝物庫に展示されているのですが、係員の方が頃合いを見て解説をして下さっていました。
六波羅蜜寺は有名なお寺なので、修学旅行の学生団体がちらほら見られるぐらいですが、同じ通りにある西福寺は、むしろ地元密着型風のひっそりとしたお寺です。こういうお寺も、私は好きです。このお寺は「六道の辻地蔵堂」とも呼ばれるのですが、かつては死人を放置する場所であったこの一帯が、あの世への入り口(六道の辻)と考えられていたことに因んでいるようです。
お詣りをしようとしたら、お寺の方から「六波羅蜜寺に行かれるのではないですか?」と訊かれたりとか、お寺の入り口に「ここは六波羅蜜寺ではありません」と云うような看板があったりとか、有名寺院のすぐ近くにあるので苦労(?)されているようです。
境内の入り口には、所狭しとお地蔵さんが並べられていますが、ご本尊は阿彌陀如来で、浄土宗の寺院のようです。本堂の掃除をしていたご住職にお願いして、御朱印を書いていただきました。御朱印を書いていただく間、世間話ができるのも、こういうお寺の良いところです。
→ 西福寺の御朱印
三つ目の「六」は、六道珍皇寺です。このお寺の名前には、そのまま「六道」が入っていますが、小野篁がこのお寺の井戸から冥界に通っていたとか、そんな伝説もあるお寺です。
そんなわけで、些かオカルト的な雰囲気を漂わせているし、それなりに流行っている(?)のかなと思ったら、参拝客が誰もいない、がらんとした境内でした。それはそれでゆっくりお詣りができるから良いのですが。京都のお寺巡りをしていると思われる、若い女性の二人連れが来たのですが、がっかりしたような顔でそそくさと出て行ってしまったのが、印象的でした。
もしかすると、密教系の寺院だったら、良い意味でも悪い意味でも「オカルト的雰囲気」利用したのかも知れませんが、この寺院は禅宗の寺院なので、そういうことには余り関心がないのかも知れません。
ところで、寺の名称の「六道」はわかるんですが「珍皇」は何に因んでいるのかがよくわからず、さらに山号が「大椿山」でして、ますますミステリアスですが罰当たりな気がしてきたのでこのぐらいにしておくます。orz
さて、講義が終わってからは、新京極で買い物をする予定だったのですが、途中で祇園の仲源寺に寄りました。ここはあんまり「六」とは関係なさそうですが、いちおう、洛陽三十三観音霊場の「第十六番」札所ではあり、境内には重文の千手観音像が祀られています。しかし、このお寺はむしろ「目疾地蔵」という、目の病気に御利益があるというお地蔵さんで有名です。
いつも京女から四条河原町に行くとき、バスの窓から商店街の中にあるこのお寺が気になっていて、今回、やっとお詣りすることができました。両側をビルに囲まれた狭い境内で、薄暗い感じすらしますが、それがまた街中の異空間という雰囲気です。
御朱印をお願いしようとしたら、たまたま書き手(ご住職?)が不在で、書き置きのものを頂いてきました。この二枚で、智積院で購入した御朱印帳が全部埋まったことになります。
新京極では頼まれた買い物をしたかったのですが、ついでに、以前から目をつけていた新しい御朱印帳を求めるため、誓願寺にもお詣りに行きました。ここは、洛陽六阿彌陀霊場の「第六番」札所です。じつは誓願寺には先月にもお詣りしてはいたのですが、その時に見たこのお寺のオリジナル御朱印帳が気になっていて、それを新しい御朱印帳として使おうと思っていたのです。和泉式部に所縁のあるお寺で、御朱印帳の表紙には、和泉式部の肖像が箔押しで描かれています。
新京極の賑やかな商店街の中にある誓願寺ですが、珍しく「白眼」の部分がある目を持つ、大きな阿彌陀如来像がご本尊です。商店街からすぐに本堂へ上る階段が始まり、まるで商店街を見おろすように安置されている如来像を初めて見たときには、こんなところにこんなお寺があったのね、という、意外さすら感じました。
丁度、夕べの勤行が始まったところのようで、独特の絞り出すような声で
ナムアミ... ナムアミ... ナム... ナムアミダブツ...
というお念仏を頂きながら、ご本尊の前でお詣りをしました。一通りのお勤めが終わったところで、受付で御朱印を頂いたのですが、ご本尊の御朱印は先月頂いたばかりなので、法然上人の御朱印と御詠歌の御朱印を、新しい御朱印帳の一頁目と二頁目に、それぞれ書いていただきました。
来年も京都に通えるかどうか、雲行きが怪しいのですが、もし京都通いが続けられそうならば、洛陽三十三観音霊場とか法然上人二十五霊場とかの巡礼もはじめてみようかしらん(鎌倉三十三観音霊場巡礼は二十年ぐらい前に始めたまま、やりかけになっています)。
今週から来週にかけてはやることがイッパイで、しばらくは忙しくなりそうです。
来週の半ばに会議をひとつ開く必要が有り、今日は朝からその準備のための会議でした。会議に出席するだけならいいんですが、開く方の立場になると忙しいだけじゃなくて、胃まで痛くなりそうです。
会議の準備以外にも出掛ける用事がいっぱいで、明日は定例の京都出講、木曜日からは富山に行ってきます。
吉備津彦神社からしばらく走って、お地蔵さんで一休みしてからすぐのところに「福田海本部」という、仏教系宗教団体の寺院がありました。
由来書きによれば、明治時代に聖徳太子・役行者・行基の教えをもとにして設立されたという団体なのですが、役行者の流れを汲むだけに、神仏混合的というか修験道的というか、そういう雰囲気の宗派のようです。七五三で賑わっていた神社と違って、お客さんは誰もいない、がらんとした境内でした。受付にも人が居なかったのですが、裏に回ったら係の人が出てきて、拝観料百円を支払いました。この百円には護摩木代も入っていて、願い事を書いておくと毎週日曜日に護摩供養してくれるとのこと。
境内の一番奥には「鼻ぐり塚」という、家畜として解体された牛を供養するための塚があります。
遠くから見るとカラフルな古墳という感じですが、近くで見ると、おびただしい数の牛の「鼻ぐり(鼻輪)」に鬼気迫るものがあります。
福田海をあとにして、細い田舎道を自転車で進んでゆくと、程なく吉備津神社に到着です。さっきお詣りしたのは吉備津彦神社ですが、今度は吉備津神社です。紛らわしいことに、祀っている神様も同じ吉備津彦命なのですが、こちら(吉備津)は備中国の一宮です。つまり、ほとんど隣接している吉備津彦神社と吉備津神社の間が、備前国と備中国の国境だったのでしょう。
小高い丘の上に社殿が建っており、鬱蒼と茂った木々の下の石段を上って門をくぐると、すぐに社殿の前に立つことができます。この神社の社殿は、屋根が二つつながった形で貴重な物だそうで、国宝でもあります。
その社殿の脇から、丘の麓に向かって龍のように伸びているのが有名な回廊です。全長四百メートルの回廊をすみからすみまで歩きました。
神社の門前まで戻ってきて、再び自転車に乗って、いま来た道を岡山市街地に向かって引き返しました。暗くなり始めたので、またまた迷いかかったのですが、ナントカ帰りつく事が出来ました。はじめに道に迷ったのも含めて、たぶん30kmぐらいは走ったのではないかと思います。いい運動になりました。
次回からは迷わないと思うから、今度は吉備津神社よりさらに遠くまで繰り出して、最上稲荷(妙教寺)に行ってみようと思います。
岡山から総社に向かう場合、自転車道沿いにある最初の見所は吉備津彦神社です。桃太郎伝説の元になったとも云われている吉備津彦命を祀っている神社で、備前国一宮でもあります。
丁度、七五三の時期ですので、参拝の家族連れの方々がひっきりなしに往き来していました。また、桃太郎にあやかってか、絵馬は桃の形をしていました。
今度からお寺と神社の御朱印帳を分けようと思っていて、神社用の御朱印帳が欲しかったのですが、せっかく岡山に住んでいるのだから、神社用御朱印帳の最初の一冊は、この吉備津彦神社にしようかなと思っていました。そんなわけで、お詣りを済ませたら、さっそく吉備津彦神社オリジナルの御朱印帳を購入、吉備津彦神社の御朱印の他、境内にある摂社の子安神社の御朱印も書いていただきました。
因みに、全国の一の宮巡礼用の御朱印帳も売られていました。観音霊場巡礼のような、お寺の霊場巡礼は知っていましたが、神社の巡礼というのがあるのは初めて知りました。
|-`).。oO(・・・・全国一宮巡礼始めてみようかな・・・・)
まずは吉備津彦神社の御朱印帳をげっとしたので、かなり満足して、次の目的地へと出発しました。
この神社がある場所は一宮と云うところなのですが、どうも「一宮駅で貸し自転車を借りて、総社で乗り捨てる(返却する)」というのが一般的(?)らしく、気のせいか、岡山から一宮までよりも、一宮以降の方が、標識が親切であるように思われました。その甲斐もあってか、ここからはもう迷うことはなくなりました。
途中、墓地の傍らに六地蔵さまが並んでいたりして、一休みするには良いところも沢山あります。御朱印帳だけではなくて、お線香と蝋燭も必携品かもしれません。
岡山市周辺は年間を通してわりと天気が安定しているし、地形も比較的平坦のようで、自転車で移動するには便利なところだと思います。そのためか、他の街にくらべて自転車の数が多いように思うし、岡大周辺にもやたらと自転車やさんが有ったりします。
自転車人口が多いのかどうかは定かではないですが、うちのすぐ近くにある津島運動公園から総社市に至る、やく二十キロメートルに及ぶ「吉備路自転車道」と云うサイクリング道まで整備されていて、沿線には古墳だとかお寺だとか神社だとかお寺だとか神社だとかとりあえず御朱印帳準備してきます
夏の間は暑そうなので、秋になったら繰り出してみようかなと思ってはいたのですが、今日は午後から吉備津神社ぐらいまで行ってみようかなと思い、自転車に乗って出掛けてみました。
はじめは住宅地の中のすすむのですが、やがて川の土手の上を走るようになり、郊外の農村風景を眺めながら、どんどん山あいの道になってきました。かなり急な上り坂にさしかかって、どう考えてもこの道間違っていると思い始めました。
根本的に方向が間違っていますた。 il||li _| ̄|○ il||li
とりあえず出発地点まで戻り、正しいと思われる方向に再度出発ー!
最初の目的地、吉備津彦神社までは案外すぐでした。(´・ω・`)
今日も授業の関係で土曜出勤です。授業といっても、私は授業がするのではなくて、別の大学で行われている授業をテレビ会議システムで中継するので、その機器操作を行うのが私のしごとです。
授業中は同じ部屋の中で待機というか、別の仕事をしていますが、授業の音声は聴くことができます。
今日の授業は幼児教育が専門の方がされていて、その中で、パネルシアターというのを紹介していました。その上演中に歌われていたのが「猫のお医者さん」という歌なんですが…、
♪ねこねこねこーのおいしゃさんー
♪にゃーんとき・あ・い・を・い・れ・た・な・らー
この歌詞がその後ずーっと頭の中でぐるぐる回って、なんかやばいです。(;´Д`)
因みに、今日聴いた演奏は、上のようつべの演奏よりもずっと生気があって楽しかったです。
岡山でも朝晩がだいぶ涼しくなってきた事もあり、大学構内の木々も綺麗に色づいてきました。
岡山市内の方から、岡大の方に向かって延びている道路は「岡山大学筋」と名付けられています。この通りは、途中から岡山大学の敷地に入るのですが、その敷地の始まりのところには、形ばかりの「正門」があり、門柱だけが道路の端に設置されています。ここの正門のところから、岡大の敷地の内側はいちょう並木になっています。
いちょう並木は岡山大学筋の他に、大学の敷地の中には何カ所か植えられています。農学部の農場に向かう通路もいちょう並木で、以前にも書いたかも知れませんが、うちから大学に出勤するときに毎朝通る道でもあります。その農学部のまえは、いちょうの黄色と、赤い葉(何の木かは不詳;;)の取り合わせが見事です。
岡山大学筋は農学部の前を通り、図書館のある敷地のところで行き止まりになり、T字路になっています。その行き止まりのところから、理学部の前を通って図書館までは、いちょうではなくてトチノキ(…だったと思うのですが、間違っていたらすみません)の並木道になっています。ここは黄色ではなくて赤色の紅葉が見事です。
赤色といえば、モミジの紅葉はまだ始まっていないようで、大学裏の半田山の山並みはまだ、そんなには色づいていません。裏山が色づくのは十二月になってからのようです。そういえば、毎週通っている京都の紅葉も、十二月初旬が見頃ではないでしょうか。
見学させていただいている授業の中で聞いた話ですが:
「モンゴル旅行に行って、砂漠の真ん中で催すかも知れません。モンゴルの人はたいへん眼がよいし、砂漠ですから隠れるところがありません。どうしたらよいでしょう?」
答えは「折りたたみ傘」だそうです。傘を広げれば、少なくともしゃがんだ姿勢なら隠れることが出来るし、反対側は砂漠ですので、誰もいませんから。…と云うことだそうです。
風が強くなければ良いのですけど。(;´Д`)