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小松谷正林寺

 京都女子大では、火曜の午後にJ校舎で授業があります。このJ校舎は本部などがあるところからは少し離れた飛び地に有り、京都駅からのバスが着くバス停からは、大学の敷地を横切り、宅地の中の路地を通り抜けて、10分ぐらい歩く必要があります。

ファイル komatudani.jpg その途中、というかJ校舎の斜向かいにあるのが正林寺というお寺です。いつも前を通っているのに、中に入ったときが有りませんでしたが、今日、はじめてお詣りに行ってきました。来年もこの授業が続くかどうかわかんないし、年中京都に通えるうちに、近所のお寺ぐらいにはお詣りしておこうかと。
 正林寺は、観光地になっているお寺ではなさそうで、外観はひっそりとした感じの、浄土宗のお寺です。が、このお寺は児童館や保育園が併設されていて、お寺の庭は子どもたちの賑やかな遊び場になっていました。

ファイル komatudani-2.jpg 何処が本堂なのか判らなかったので、とりあえず寺務所に寄って訊いてみたところ、本堂は遊び場になっている庭の方に回り込んで下さい、と教えてもらいました。お詣りの間に御朱印をお願いしておきました。
 庭は(子どもたちが外に出て行かないように)門が閉められているのでそれを開け、遊んでいる子どもたちの間を抜けて本堂にたどり着きました。本堂の入り口にも柵がしてあり、門扉が閉められているのですが、それを開けて上がって下さい、とのことでした。

ファイル komatudani-3.jpg 大師堂の中には、円光大師(法然上人)の像などが祀られていました。このお寺には、法然上人が住んでいたことがあったそうです。後で知ったのですが、ここは本堂ではないようで、本尊の阿弥陀如来は別の建物に安置されているようです。しかし、庭は子どもたちが走り回っているし、歩き回るのも気まづいというのもあって、結局、大師堂のお詣りだけになってしまいました。
 しかし、ほんの少しの間でもお堂の中で何も考えずに過ごすことができたのは、何よりでした。そういうわけで、毎週火曜日はしばらく、京都のお寺巡りになるかも知れません。


 イヤ、仕事はちゃんとしますよ? (;´Д`)


 その後、音楽棟の深見教授を訪ねてから帰ったのですが、そういや、この正林寺にある小松谷保育園、どっかで聞いた名前だと思ったら、京女児童学科音楽隊訪問先の一つでした。

『気のいい火山弾』の絵本

 宮沢賢治の『気のいい火山弾』が好き、という話を以前に書きましたが、この童話の絵本があったので取り寄せてみました。

 本文は全て旧仮名遣いで書かれており、たなかよしかず氏による版画が添えられています。どちらかというと、子供向けというよりも大人向けの絵本かもしれません。ほんわかとして、しかしユーモラスな版画が、賢治の描いたイーハトーヴの世界へと誘います。

 表紙にもなっている四人の地質学者の画も楽しいですが、背表紙には、おそらく帝大に運ばれたのちのベゴ石と思われる画が載せられていて、少しだけ心が和む気がします。
 また、文章の区切りも考えられていて、「ベゴ石」が歌を作るところでは最初の一行目で改頁。私が心を動かされる「苔はむしられて…」のくだりは、たった三行目にして改頁が入ります。

 ところで、印刷されたものではないですが、ネット上で水彩画による『気のいい火山弾』の紙芝居もみつけました。最後の画が、まさに「青い青い向ふの野原の方へ」向かってゆく荷馬車ですし、「黒助どんどん」と歌いながら踊る苔の画も可愛いです。この紙芝居も、とても気に入りました。

ウェーバーのピアノ協奏曲

 ウェーバーというと、ワーグナーへと連なるドイツ歌劇の基礎を築いた、と音楽史のなかでは紹介されるのですが、かといって思いつく曲といえば『魔弾の射手』と『舞踏への勧誘』ぐらいで、イマイチ地味な存在に甘んじている感があります。

 これら以外では『オベロン』が割と有名のようで、単独でも取り上げられる序曲は、リストによって超絶技巧のピアノ版にも編曲されています。また、「海よ、巨大な怪物よ」と云う長大なアリアは、マリア・カラスの録音を聴いて知ったのですが、カラスの歌唱ともども、まるで荒波の逆巻く海のような雄弁さを持っていると思います。

 そんなウェーバーはピアノ協奏曲を三曲遺しているそうです。番号つきなのは二曲で、もう一曲は「小協奏曲」と名付けられています。おそらく、この三曲のなかでもっともよく知られているのは「小協奏曲」だと思われますが、私はむしろ、番号つきの二曲の方が好きです。

 深い内容を期待する曲ではないのだと思いますが、ロマン派初期の初々しさにのせて、華麗な技巧…といっても、分厚い華麗さではなくて、(良くも悪くも)バイエル的な、古典的な華麗さですが…が繰り出され、何の嫌みもなく爽やかに聞き流せる曲だと思います。褒めているのか貶しているのか自分でもわからなくなってきましたが、兎に角、爽やかな秋の初めに聴くにはいい曲だと思うのです。

『天才柳沢教授の生活 第29巻』

 『天才柳沢教授の生活』の最新刊が発売されていました。この漫画は、最近ではもっとも気に入っている漫画のひとつです。

 ほとんどの話は一回で完結する読み切りです。最初のうちの何話かは、この風変わりな教授の日常生活自体を題材にしたものが多いのですが、特に最近の作品は、教授の周辺で起こる様々な人間模様に焦点を当てた話が中心です。

 この柳沢教授(というよりも、作者の山下和美)のすごいところは、人の心の機微を独特の視線で焙り出すところなのですが、どの話もはっとさせられたり、じんとさせられたり、心に響く物ばかりだと思います。

 この巻に収められた話のいずれも良いのですが、巻末の、教授の幼かった頃に母と死別したときの話、それから、孫の華子にお金の価値について「お掃除の手伝い」を通して語りかける話が印象的でした。

 余計なお世話かも知れませんが、長いこと「助教授」という職名で書かれていた吉田「助教授」が、やっと吉田「准教授」で登場していました(その話のなかで、最後の一コマでは痛烈なオチが附くんですが…)。こういう揚げ足取りはともかくとして、ひとりの大学教員として、この漫画から考えさせられることは、沢山あるように思います。

初秋のいちょう並木

ファイル early_autumn_gingko.jpg 岡山大学の名物(?)のひとつが「いちょう並木」です。岡大の敷地はかなり広いのですが、敷地だけではなくて学内の通路も広く、それらの通りのいくつかは、イチョウの木が並木になっています。とりわけ、バス道路にもなっている図書館前の大通り(岡山大学筋)は、有名ないちょう並木です。

 毎朝、私が大学に出勤するときに通る、農場から農学部の方に向かう通りも、いちょう並木です。去年、岡大に着任したのは十二月でしたが、その頃には学内の通りは一面の黄色い落ち葉(と、ギンナンの実 orz)に埋もれていました。

 夏の暑さも一段落して、今朝はだいぶ涼しい朝になりました。光の具合かも知れませんが、心持ち、イチョウ並木も黄色くなってきたように見えました。

「王様が本気だ」

 今年の初め頃の話ですので、今頃気が付いたの? ていう感じですが。


 王「本気で魔王倒す」勇者「えっ?」


 可笑しすぎて、腹痛いです。しばらくコレで思い出し笑いしそうです。

 ドラクエはIIまでしかやったときがないですが、経験値がいっぱい入る「はぐれメタル」なんていましたねえ。あと、お金がいっぱい入るのは「ゴールドマン」でしたっけ?( ・ω・)

 初代ドラクエで、たった一体しか出てこない「ゴーレム」を倒すためには、「ようせいのふえ」で眠らせないとダメなのかと思っていました。ところが実際には、ある程度強くなっていたら、ふつうに戦っても倒すことが出来るということを知って、激しくガッカリした記憶があります。

 あの頃は、のどかな時代でした。( ´ー`)

土葬は法律で禁止されていない

 案外と勘違いされがちな事のひとつに、「日本では法律で火葬が義務づけられている(だから、火葬率が高い)」という事があります。

 実際には、一部の自治体(多くは大都市部)の条例で土葬ができない場合もありますが、法律上は火葬でも土葬でも構わないことになっているはずです(墓地、埋葬等に関する法律)。

 とはいえ、土葬するとなると、それなりに人手もかかるし、場所も取る関係で、実際には可能な限り火葬される場合が多いのでしょう。

 出典がアヤフヤなのですが、東京都の場合は火葬場が整備されていない山間部などでは土葬が行われる場合も有るようで、火葬率100%では無かったと思います。逆に、富山県はたぶん宗教上の理由で(浄土真宗の信徒が非常に多いため)、歴史的にも土葬の文化がほとんど無いらしく、現在では火葬率100%だそうです。また、土葬率が高いのは、山梨県・高知県・岐阜県と聞いたときが有りますが、それでも精々一割程度だったかと思います。

 そんなわけで、日本ではほとんどの場合が火葬ということになるようです。

 わたし自身は、火葬の文化に関心を持ち始めて長いため、火葬の方がいいといえばいいんですが(死んじゃったらどっちでもあまり関係ないともいいますが…^^;;)、一方で、失われ行く文化である土葬にも、ある種の関心を引き起こされます。

 そんな土葬について考え、実際に土葬を推進する活動をされている「土葬の会」というサイトを見つけました。

 葬制の選択の自由という意味では、土葬が見直されることもあっても良いとは思います。仏教は火葬を推進しましたが、神道では本来は土葬を旨としていたと思いますし、土葬以外の葬制を認めないイスラム教徒の方々も増えていくことでしょうし。

 そういや、岡山県の火葬事情はどうなのか、またそのうち調べてみようかと思うます。

京都五年目

 今年は今日から、京都女子大(後期)の非常勤が始まりました。
 2006年に始めたこの仕事も、今年でもう五年目です。

 ファイル kyotowu2010.jpg

 今年から、非常勤講師も名札を附けることになりました。

 来年もこの仕事が続くといいのですが、どうやら、私が担当している科目は今年で最後…らしいです。

etrangerdicostarica の書類入れ

 書類を持って学内を移動するとき、折れないように封筒などに入れていくのですが、もっと頑丈な書類入れは無いかなと思っていました。

 たまたま、生協の売店にこんなのが売っているのを発見、購入しますた。

 


 青です。スケルトン(古 です。(*´д`*)ハァハァ

 
 これはA4版ですので、たいていの書類は収まるのですが、封筒に入れられたものとか、ファイルに綴じられたものなどには窮屈です。そんなわけで、

 

B4版のものも ホシィッ☆O(> <)o☆o(> <)O☆ホシィッ

クレンペラーのフィガロ

 モーツアルトの「フィガロの結婚」は大好きな歌劇の一つで、手許の演奏の中ではエーリッヒ・クライバーがウイーン・フィルを指揮したものを最も好みます。本当は、1963年にカール・ベームが来日したときの録音を聴きたいのですが、相当に入手困難のようです。

 さいきん、家にあるCDをデジタル化しようと思って、一寸ずつエンコードしているのですが、その作業をしながら、富山から引っ越したとき以来仕舞い込まれたままになっていたCDを久々に聴いています。そんな中に、オットー・クレンペラーが指揮した「フィガロ」がありました。

 多くの演奏と較べると、たいへんに遅いテンポの演奏で、例えば、第一幕のドン・バルトロのアリア「復讐じゃ! ああ、復讐とは」などは、出だしから前につんのめりそうなぐらい遅く感じました。

 しかし、遅いと云っても単に鈍重ではないところがクレンペラーの良いところで、表面的には格調が高いようでいながら、登場人物の感情に合わせて千変万化に移ろう音色の変化といい、隅々までに行き渡る活き活きとした表現力といい、もう背筋がゾクゾクするように官能的な演奏に思えます。

 あと、世評通りレリ・グリストが唱うスザンナは滅茶苦茶可愛いと思います。

 とはいえ、このCDも既に廃盤になってしまったようで、今となっては入手困難になってしまったようで、ヤフオクか何かで探すしかなさそうです。

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