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イコちゃん壁紙とか電話メモとか発見

 東京に住んでいた頃は Suica なんて無い時代(たしか試験運用が始まった頃だったような?)でしたし、富山は富山で自動改札なんですかそれ?でしたので、岡山に来てからやっと、「非接触式カード」というのを日常的に実用し始めますた(Suica は持っていましたが、東京に行ったときに一寸使う程度でした)。

 岡山は西日本旅客鉄道の範囲ですので、使えるカードはICOCAです。また、汽車に乗るときだけではなく、市内のバスに乗るときにも、ICOCA が使えます(但し、両備バス系の業者の場合だけ)。

 ICOCA には SMART ICOCA という種類があって、ようするにクレジットカードを使って積み増しが出来るというものですが、J-WESTカードを持っていなくとも、任意のカードから引落が出来るのが特徴です。たぶん、これに相当する Suica は無いようで、クレジットカードで決済したい場合は、VIEWカードを作らないとダメみたいです。

 ICOCA のキャラクターは、イコちゃんというカモノハシで、かなり関西テイスト入ったキャラクターです。Suica のペンギン(というのが正式名称らしいです)も捨てがたいですが、イコちゃんも最近はわりと気に入ってきました。なんと言っても青いですから。(*´ェ`*)


 キャラクターものならなんでも良いのでは?という突っ込みは無しの方向で。_| ̄|○


 それで、イコちゃんとかペンギンとかのキャラクターグッズがあることは知っていましたが、駅の売店で売られているのを物欲しげに横目で見ながら通り過ぎているんですが、そのイコちゃんの壁紙だとか、デスクトップキャラクターとか、はてはFAXの送信用紙や電話メモといったものが配布されているのを発見。(*ノェノ) → イコちゃんコーナー


 とりあえず、ubuntu の壁紙にでもしておこうかなと。( ´ー`)

 さりげなくFAXの送信に使ってみようかなとも思ったんですが、それは自重しておくます。(´・ω・`)


 これらをダウンロードをするためには、J-WEST の会員になる必要がありますが、SMART ICOCA を J-WESTカード無しでも持てるように、少なくとも会員になるだけならば、任意のクレジットカードさえ有れば、J-WEST カードを作らなくとも良いようです。

 因みに、Suica のペンギンの壁紙とかもあるらしいんですが、こちらの方は、VIEW's NET の会員にならなければダウンロード出来ず、そのVIEW's NET の会員になるためには、どうやらVIEW カードを作らないとダメらしいです。

 西日本、少しだけ太っ腹のようです。(何

市内のお寺巡り(大雲寺・蓮昌寺・長泉寺)

 昨日は悪天でしたが、今朝になって晴れ上がりました。十月に入って気温も下がり、出歩くには良い季節です。そんなわけで、岡山市内のお寺巡りに出掛けてきました。

 東京に住んでいた頃は、足繁く鎌倉の寺社巡りに行ってましたが、富山に住んでからは少しばかり足が遠のいていました。別にイヤになったわけではないんですが。京都にも毎週行く割には、そういえば、お寺巡りを始めたのは今年になってからですし、いつでも行けるとか思っていると行かなくなってしまうのかもしれません。

 岡山はいつまで住み続けられるかわかりませんから、近辺の寺社仏閣探訪も、行けるうちに行っておくのが良さそう。まずは、いつも岡山駅方面に行く途中、目に付いていたいくつかのお寺を攻略しようと思い、午後になってから出掛けてみました。

 最初に行ったお寺は、大雲寺というお寺です。市電の駅の名前にもなっているこのお寺は浄土宗の寺院です。本尊の阿彌陀さまの他に「日限地蔵」というお地蔵さまも祀られていて、毎月の縁日には出店などで賑わうようです。また、境内には大小様々なお地蔵さまが集められています。

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 お寺の建物自体は近代的な建築物です。岡山は戦争中に空襲に遭ったため、このお寺もそれに巻き込まれて焼失してしまったためです。境内に祀られている地蔵の中は、焼け残ったものもあるようで、じっさい黒く変色していたり、壊れたりしたものもありました。

 続いて、柳川筋を北上して、日蓮宗の蓮昌寺へ。このお寺も戦火の被害を受け、桃山時代のから伝わっていた国宝の本堂などは、全て焼失してしまったとのことです(同じく国宝だった、岡山城の天主も空襲で破壊されました)。ですので、このお寺も建築物自体は近代的なものです。

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 境内の中央には大仏殿という建物があり、内部には釈迦如来の像が祀られています。その建物の天井の格子には、色とりどりの画がはめ込まれています。また、正面側の壁(下の画像で云えば左側)には、巨大な日蓮上人の肖像画が描かれていました。画像でも上人の顔が、斜になりつつもなんとなく見えているかと思います。。

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 どういう訳かこのお寺には、今日は誰もいないようでした。お寺が運営している(?)幼稚園が隣にあるのですが、日曜日なのでそこもお休みのようで、幼稚園の建物にある寺務所もシャッターが閉められたままでした。したがって、御朱印をもらうことができませんでした。またそのうち、再訪しようかと思います。(´・ω・`)

 さて、さらに柳川筋を北上し、柳川交差点を越えて山陽本線の線路を潜る手前、真言宗の長泉寺にも立ち寄りました。このお寺は、門が鐘楼にもなっています。また、境内にはスリランカの弁財天像なども祀られていました。

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 御本尊は薬師如来で、備前薬師霊場第一番。この手の霊場巡礼地になっているお寺では、御朱印をもらえる率が高いような気がします。そんなわけで、首尾良く(?)御朱印を拝領することができました。

 前々から疑問に思っている事のひとつが、なんで薬師如来は「瑠璃光如来」という別名があるのか、ということです。このお寺でも、本尊は「薬師瑠璃光如来」となっていました。「瑠璃光」の意味は「神々しい輝き」というような意味合いだろうとは思われますが、詳しい背景を説明してもらえば良かったと後悔。

 さて、帰り道に、以前訪れたときに誰もいなかった妙善寺に寄り道しました。今度こそは御朱印を頂くためです。今日は寺務所に人は居たのですが、御朱印は出していないとのこと。詳しい話は聞きませんでしたが、もしかすると、この宗派(日蓮宗不受不施派)では御朱印をしない習慣なのかもしれません。

何の電照栽培?

 自宅の窓からは、農学部の農場が一望できるのですが、秋になってからか温室のひとつで電照栽培が行われるようになりました。何の作物を作っているのかは不明。

 ファイル light_culture.jpg

 ピンぼけですが、拡大するとこんな感じ。

 ファイル light_culture-2.jpg

 日々の仕事の往き来に温室の前は通るので、その時に覗いてみればいいんですが、いくつもある温室のうち、どの温室に電燈がついているのか、昼間になったらわかりません。こんど気をつけて見てみようと思います。

 電照栽培というのを知ったのは、たしか中学生の時でした。技術の時間にキクの栽培をすることになり「作物としてのキクは電照栽培によって開花時期を調整するのです」という話を聞いたときでした。そういうのを「電照菊」というんですと、先生が黒板に書いたのが、ものすごく印象に残っています。

 その技術の時間にキクの栽培をしたいと云いだしたのは、実は私でした。小学生の時に「園芸委員会」の委員になって、そこでキクの仕立て方を学んだのですが、その事を技術の先生に話したら、キクの栽培をやろうという事になってしまったのでした。そんな生徒のひとことでキクの栽培が授業になってしまったというぐらい、当時の中学校は長閑でした。

カーチャンOS

 J( ’ー`)し カーチャンシリーズが話題になったのって、いつ頃でしたっけ。いくつかの話は、ぐっと胸に迫るものがあります。

 
 親孝行、しなきゃ。…しかし、


 J( ´ー`)し「たかしへ。カーチャンが独自にOSをつくって見ました。」


には、明後日の方向に向かって走り出すような、激しい落差に笑いをかみ殺しますた。 

すみません回送中です

 岡山はバス会社が多い地域のようで、岡山駅前には、宇野バス・下電バス・中鉄バス(中鉄北部バス)・両備バス・岡電バス・備北バスと、六(七)社の路線バスがひしめいています。高速バスも含めたら、もっと多いのかも知れませんが。

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 このうち、両備グループ系の両備バス・岡電バスは、回送時は写真のように、ご丁寧にも「すみません回送中です」という表示になります。これは前後と側面にある行先電光掲示の三箇所に表示されます。

 このことに気がついたのはわりと最近のことなのですが、「すみません回送中です」になったのは、この夏からだったようです。どうも、以前は単に「回送」だけだったようで、気にも止めていなかったのでしょう。

 因みに、新任の運転手さんの教習用のバスが希に走っているのですが、そのときの表示は「すみません教習中です」ではなくて、単なる「教習車」でした。

こうもりの死骸

 今朝、大学に出勤するとき、うちの玄関の前になんか、もふもふ したものが転がっていました。

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 近くで見たら、コウモリさんの死体でした。|ω・`)

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 種類まではわからないのですが、素手で触るのも良くないらしいので、そのままホウチしてきました。

 つうか、触らなくてヨカッタ。(;´Д`)

 子どもの頃、いつも夕方になると、近所の空き家から大量のコウモリが飛び出してきていました。夕陽を背景に黒く影になったコウモリの群れを指して、「鳥は羽ばたかなくても(滑空して)飛べるけど、コウモリはずっと羽ばたいているから、鳥と見分けられるんだよ」とか「コウモリは蚊を食べるから人間の役に立っているんだよ」とか、そんなことを父から教えてもらった記憶があります。ただ、昼間は隠れているし、空を飛ぶ生き物だから、なかなか近くで見る機会がありません。

 そんなコウモリの死体がどういう経緯でうちの前に転がっていたのかは謎ですが、おそらく、いま住んでするアパートの廂あたりにでも、生息しているのかも知れません。

『チェンジング・ブルー』

 今日は時間が無くて、寺社巡りには行けませんでした。(´・ω・`)
 イヤ、ですから仕事はちゃんとや(ry

 かわりに、河原町の高島屋に寄って、小倉山荘のせんべいをお土産に買いました。

 ところで、往き来の車中で『チェンジング・ブルー―気候変動の謎に迫る』という本を読んでいて、まだ四分の一ぐらいしか読んでいないのですが、これがとても面白い科学読み物です。

 この本は、地球環境が過去にどのように変動してきたか、また、どういう要因が地球を温暖化したり、氷河期にしてきたのか、ということがテーマになっています。現代の科学者たちが、そうした過去の環境変動をどのように読み取って来たかということが描かれているのですが、この本を読んでいると、科学史に残る革命的な発見を追体験するようにわくわくさせられます。また、地球科学の素養が全く無くとも読み進められるよう、かなり丁寧な解説がなされていると思います。

 全部で四百頁もある大著のこの本、はじめの方(というか、まだそれしか読んでいないのですが)は同位体地球化学の話しに頁が割かれています。イチオウ私もその分野に関わっているのですが、わかりやすい解説を読みながら、改めて復習する思いです。

 そう、これを読んでいて想い出したのは、昨年逝くなった、同位体地球化学のお師匠である佐竹教授の講義でした。博士課程に進学したころは(というか今でも?)、同位体化学どころか一般化学すらよく分かっていなかったので、四年生に混じって同位体化学の講義を聴きました。佐竹教授から聞いた説明は講義ですから、この本の説明よりもずっくだけたものでしたが、「どうして内陸ほど降水の同位体比が低下するのか」とか「レイリーの蒸留モデル」とか、十年近く前の講義の記憶がよみがえってくるのでした。

 過去の地球がわかれば、未来の地球がわかる…というほどに簡単ではないですが、少なくとも、未来を知るためには過去を知らなければならないということは、間違いないと思います。地球の過去を掘り起こしながら、地学の基本的な知識を得られるという意味でも、お奨めの一冊だと思います(読み終わってもいないのに、お奨めするのも変ですが)。

きんもくせいの季節

 昼休みに一般教育棟の横を通ったら、仄かなキンモクセイの香りが漂ってきました。キンモクセイの木は地味な木で、花が咲いて香るまでは存在に気付きにくいように思います。

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 そんなわけで、気をつけて見てみたら、学内にも結構色々なところに植えられているのを見つけました。

 キンモクセイというと、便所の芳香剤の香りだと思っていたのですが、最近はあんまり見かけなくなりました。どうも現代の香りの嗜好からは外れるらしいです。

 便所で香ることはなくなりましたが、外でこの香りが漂ってくると、もう秋という感じになります。

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 関係ありませんが、夕方に一般教養棟で用事を済ませて帰る途中、窓から外を見たら、雲の切れ間から陽が差し込んでいました。

 というか、携帯電話でもこんなに綺麗に写真が撮れるものかと、買ってから一年半以上経ってからやっと気がついた件。il||li _| ̄|○ il||li

論語 - 爲政第二の四

 孔子様(とその弟子たち)の言葉や行いを記録した『論語』は、全部通して読んだときはないのですが、その中に出てくる有名な言葉は、否応なしに覚えています。例えば:

吾十有五而志於學 三十而立 四十而不惑 五十而知天命 六十而耳順 七十而從心所欲 不踰矩

(吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑はず。五十にして天命を知る。六十にして耳順ふ。七十にして心の欲する所に従いて、矩を踰えず。)

 若い頃には、単なる人生の時間軸でしかなかったようなこの一節も、今になって読み返してみると、少しは重みが出てきたように感じられます。

 三十も半ばを過ぎたのに全然立っていない気もしますし、もう何年もしないで迷わないようになるかどうか、ましてや天命を知るなど滅相もないのですが、少なくとも、何時かは「耳順ふ」ようになれたらいいなあ、ということぐらいは、わりと本気で考えられるようになってきたようです。

 一度は通して読んでみたい『論語』ですが、差し当たりは下村湖人の『論語物語』あたりから読み始めてみようか知らん。
 

草ムシリとシンポジウム

 いま住んでいるアパートでは、月に一回、住民が協力して建物周辺の掃除と草ムシリを行うことになっています。

 日程はたいてい、第一土曜日の朝と決まっていて、ふだんはなかなか顔をあわす機会がない、同じアパートの多の住民の方々と話しをすることができる機会でもあります。時々、中国語を教えてくれる一階に住んでいる中国の方とも、こうした機会に知り合ったのでした。

 夏の間は朝から暑いし、雑草が激しく成長する関係で、草むしりも結構な手間だったのですが、秋になってからはだいぶ涼しくなって、作業は楽になりました。(´ー`)

 午後は仕事関係のシンポジウムが開かれるので、岡山商科大学に行ってきました。仕事の関係上、この大学にはよく伺うのですが、いつも夏休みとか休日とかの人の居ない時期ばかりで、学生さんが構内にいるのをほとんど見たときがありません。この日も土曜日だったので、構内はがらんとしていました。

 うちのあたりは岡大の他にもいくつかの大学があり、商大も近所の大学のひとつです。うちからは歩いて二十分ぐらいのところです。途中、水田のわきを通り過ぎたら、刈り取り前の稲は深々と頭を垂れていました。

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