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京都のお寺探訪(六波羅蜜寺・西福寺・六道珍皇寺・仲源寺・誓願寺)

 忙しいとか云いながら、京都での巡礼だけはしっかりとお勤めさせていただいております。|ω・)

 最近は京女周辺のお寺を中心に回っているのですが、そうすると、大体は東山区にあるお寺ということになります。泉涌寺とか東福寺とかの大物もあるんですが、それらは観光旅行に来たときに行くかも知れないし(そう云っているといつまでも行けないんですが)、紅葉の時期で激しく混雑している恐れもあって、行くならば冬になってからにしようかなと。

 その東山区の区役所近くには、これまた有名な建仁寺が有りますが、それは来週にして、建仁寺周辺にある、以前から気になっていた「六」に関係がある変わった名前のお寺を 攻略 お詣りすることにしますた。

 まずはじめに立ち寄ったのは、六波羅蜜寺です。この一風変わった寺の名前は、仏教の「六波羅蜜」から採られたのだそうですが、それは、仏教の修行の中で修めるべき、六つの徳目(大まかにいうと: 分け与えること・戒律を守ること・耐え忍ぶこと・努力すること・心を安定させること・智慧をはたらかせること)の事だそうです。
 お寺としてはそれほど大きいものでもないのですが、ここでは有名な「空也上人像」を見ることができます。口から阿彌陀如来が六体、飛び出しているという、あのシュールな像です。実物はそんなに大きい像ではないのですが、鎌倉時代に作られたとは思えないような、強烈な実在感にすっかり感激しました。他にも、重文・国宝級の宝物があり、本堂の後ろにある宝物庫に展示されているのですが、係員の方が頃合いを見て解説をして下さっていました。

六波羅蜜寺の御朱印

 六波羅蜜寺は有名なお寺なので、修学旅行の学生団体がちらほら見られるぐらいですが、同じ通りにある西福寺は、むしろ地元密着型風のひっそりとしたお寺です。こういうお寺も、私は好きです。このお寺は「六道の辻地蔵堂」とも呼ばれるのですが、かつては死人を放置する場所であったこの一帯が、あの世への入り口(六道の辻)と考えられていたことに因んでいるようです。
 お詣りをしようとしたら、お寺の方から「六波羅蜜寺に行かれるのではないですか?」と訊かれたりとか、お寺の入り口に「ここは六波羅蜜寺ではありません」と云うような看板があったりとか、有名寺院のすぐ近くにあるので苦労(?)されているようです。
 境内の入り口には、所狭しとお地蔵さんが並べられていますが、ご本尊は阿彌陀如来で、浄土宗の寺院のようです。本堂の掃除をしていたご住職にお願いして、御朱印を書いていただきました。御朱印を書いていただく間、世間話ができるのも、こういうお寺の良いところです。

西福寺の御朱印

 三つ目の「六」は、六道珍皇寺です。このお寺の名前には、そのまま「六道」が入っていますが、小野篁がこのお寺の井戸から冥界に通っていたとか、そんな伝説もあるお寺です。
 そんなわけで、些かオカルト的な雰囲気を漂わせているし、それなりに流行っている(?)のかなと思ったら、参拝客が誰もいない、がらんとした境内でした。それはそれでゆっくりお詣りができるから良いのですが。京都のお寺巡りをしていると思われる、若い女性の二人連れが来たのですが、がっかりしたような顔でそそくさと出て行ってしまったのが、印象的でした。
 もしかすると、密教系の寺院だったら、良い意味でも悪い意味でも「オカルト的雰囲気」利用したのかも知れませんが、この寺院は禅宗の寺院なので、そういうことには余り関心がないのかも知れません。
 ところで、寺の名称の「六道」はわかるんですが「珍皇」は何に因んでいるのかがよくわからず、さらに山号が「大椿山」でして、ますますミステリアスですが罰当たりな気がしてきたのでこのぐらいにしておくます。orz

六道珍皇寺の御朱印

 さて、講義が終わってからは、新京極で買い物をする予定だったのですが、途中で祇園の仲源寺に寄りました。ここはあんまり「六」とは関係なさそうですが、いちおう、洛陽三十三観音霊場の「第十六番」札所ではあり、境内には重文の千手観音像が祀られています。しかし、このお寺はむしろ「目疾地蔵」という、目の病気に御利益があるというお地蔵さんで有名です。
 いつも京女から四条河原町に行くとき、バスの窓から商店街の中にあるこのお寺が気になっていて、今回、やっとお詣りすることができました。両側をビルに囲まれた狭い境内で、薄暗い感じすらしますが、それがまた街中の異空間という雰囲気です。
 御朱印をお願いしようとしたら、たまたま書き手(ご住職?)が不在で、書き置きのものを頂いてきました。この二枚で、智積院で購入した御朱印帳が全部埋まったことになります。

→ 仲源寺の御朱印(目疾地蔵の御朱印千手観音の御朱印

 新京極では頼まれた買い物をしたかったのですが、ついでに、以前から目をつけていた新しい御朱印帳を求めるため、誓願寺にもお詣りに行きました。ここは、洛陽六阿彌陀霊場の「第六番」札所です。じつは誓願寺には先月にもお詣りしてはいたのですが、その時に見たこのお寺のオリジナル御朱印帳が気になっていて、それを新しい御朱印帳として使おうと思っていたのです。和泉式部に所縁のあるお寺で、御朱印帳の表紙には、和泉式部の肖像が箔押しで描かれています。
 新京極の賑やかな商店街の中にある誓願寺ですが、珍しく「白眼」の部分がある目を持つ、大きな阿彌陀如来像がご本尊です。商店街からすぐに本堂へ上る階段が始まり、まるで商店街を見おろすように安置されている如来像を初めて見たときには、こんなところにこんなお寺があったのね、という、意外さすら感じました。
 丁度、夕べの勤行が始まったところのようで、独特の絞り出すような声で

 ナムアミ... ナムアミ... ナム... ナムアミダブツ...

というお念仏を頂きながら、ご本尊の前でお詣りをしました。一通りのお勤めが終わったところで、受付で御朱印を頂いたのですが、ご本尊の御朱印は先月頂いたばかりなので、法然上人の御朱印と御詠歌の御朱印を、新しい御朱印帳の一頁目と二頁目に、それぞれ書いていただきました。

→ 誓願寺の御朱印(法然上人の御朱印御詠歌の御朱印

 来年も京都に通えるかどうか、雲行きが怪しいのですが、もし京都通いが続けられそうならば、洛陽三十三観音霊場とか法然上人二十五霊場とかの巡礼もはじめてみようかしらん(鎌倉三十三観音霊場巡礼は二十年ぐらい前に始めたまま、やりかけになっています)。

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