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Gmail で imap 試用

 どうも IMAP には馴染みがないし、サーバ上にデータを置いておくということ自体が信用ならないので、今までは POP3 しか使っていませんでした。

 しかし、Gmail で IMAP が使えるというので、ためしに使ってみようかなと思い、だいぶ要領は判ってきました。Gmail はいちおうアカウントを持っていますが、メインで使うにはドウモ…と思っていて、専らこの種の実験用にばかり使っています。

 ブラウザ越しにメイルを書くというのはどうも馴染めません。web メイルをほとんど使わないのもそれが原因だったのですが、IMAP ならば、いわゆるメイラー(メイルソフト)を使う事もできます。

 ただし、pop3 と異なり、対応しているソフトは限られていて、愛用している電信八号も IMAP には非対応。無料版のソフトでは、Thunderbird と Sylpheed が対応していて、有料版のものでは Shuriken を試してみました。

 どれが使いやすいのかはまだよくわかりませんが、ネット上での情報量が多いのは、やはり Thunderbird のようです。例えば:

 Thunderbirdを究極のGmail IMAPクライアントにする (誠biz)

 今のところ、それ程実用しているわけではないので、例えば送信済みメイルの挙動なんかがイマイチよくわからないのですが、それは使っているうちに解決できそう。

 以前と比べると、Gmail の安定性とか速さなどはだいぶ改善したのではないかと思いますが、実際のところはどうなんですかねえ。因みに、Gmail を利用したメイルは、Google 以外にも au one とか livedoor でも提供されていて、Google が提供している Gmail とほぼ同等の機能が使えるようです。

 そういや、無料のメイルといえば Yahoo! mail もありますが、ヤフオクのアラートを受け取るため専用に使っていたりします。ここ数年は特に問題もなく動いているようですし、かなり遅いという印象だった、以前と比較しても、使い勝手は向上しているような気もします。

 これらはいずれも、ギガバイト単位の容量を提供していて、その上 IMAP も POP3 も利用可能だったりするため、プロバイダが提供する POP3 のメイル(物によっては容量は数メガバイト)とか、ポータルサイトが提供している web メイルの類を完全に駆逐してしまうのではないかとすら思われてしまいます。

子持ちアユ

 私は東京生まれなので、食べる魚は海産の方が多く、川魚はそんなに食べる機会が有りませんでした。たまに鮎の塩焼きを食べたぐらいで、それもお惣菜屋さんで出来合いのものを買って来ることがほとんどでした。

 ところが、家内の出身地では鮎が有名で、しかも子持ちがうまいという話を聞きました。子持ち鮎は秋になると出回るのだそうで、さっそく取り寄せてみました。

 

 これが大当たりで、子持鮎の塩焼きは初めて食べたのですが、冷凍でも大変おいしくいただくことができました。もちろん、自宅で塩焼きにしてもらいました。

 子持ち鮎、お奨めです。

海洋科学の講演会

 琉球大学・木村名誉教授の講演会があるというので、聴きに行ってきました。

 与那国島の「海底遺跡」の研究が有名ですが、今回はいろいろと事情があって、「海底遺跡」の話は有りませんでした。その代わり、時の話題になっている尖閣列島周辺の海底資源についての話を聴くことができました。政治的な問題はともかくとして、沖縄トラフ周辺にはたくさんの海洋資源が眠っていると考えられ、いざこざの元になりそうな場所ではないところ(ずっと日本寄りの場所)にも手つかずの場所があるから、そういうところをもっと調査したらいいのに、というような話でした。

 それとは別に、火山噴火や地震予知についての話もありました。大学受験は「地学」でしたし、学部生の頃は地球科学科でしたから、火山や地質についての知識は「それなりに」持っているのですが、そんな当時に受けていた講義を思い出しながら、話を聞きました。

 私は今は雪氷学者(?)ですが、実は、小学生高学年~中学生の頃は、火山学者になりたいと思った時期もありました。わたし自身は専門家からはほど遠いながらも、火山の話となると、ついつい興味を惹かれてしまうのです。

悲愴交響楽

 119年前の今日は、チャイコフスキーの交響楽「悲愴」が初演された日だそうです。

 子どもの頃、この曲のレコードを発見したけれども、出だしからタルい音楽で聴く気が起こらず、むしろ裏面に入っていたバイオリン協奏曲が好きで、最初に出てくる主題が全合奏で盛り上がるところをワクワクしながら、繰り返し聴いた記憶があります。

 オトナになってから、多少はいろんな事がわかるようになって、悲愴交響楽も退屈な音楽ではなくなりましたが、子どもの時にもっとガマンして第三楽章まで聴いていればヨカッタのかも知れません。少なくとも、第三楽章のスケルツオの部分は、たいていの人は一度は聴いたときがある音楽だと思いますし、後半の行進曲風の部分は実演で聴くと、終わった瞬間に立ち上がってしまうぐらいの迫力があります。実際、実演の時には第三楽章が終わったところで拍手が入ることもあるようです。この「第三楽章の後の拍手」は、習慣的にそうすることになっているのか、それとも偶々そういう場合が多いだけなのかはよく知りません。どっちなんでしょう。( ・ω・)

 さて、この「悲愴」ですが、いまでも私は通しで聴くことはあんまり無くて、たいていは第三楽章しか聴かないときが多いです。私の好きな演奏は、一糸乱れぬ鋼鉄の意志という感じのムラビンスキー/レニングラード・フィルの演奏です。但し、1960年の録音。新しいものも出ていますが、1960年の録音と較べると、かなり落ちるとおもいます。

 

 おそらく、ムラビンスキーと対照的?な演奏のひとつが、アーベントロート/ライプチヒ放送交響楽団の演奏です(録音はたいへん古いですが)。

 

 この演奏、特に後半の行進曲の部分、ティンパニの打ち込みの激しさが印象的ですし、テンポをぐっと落として踏みしめるように繰り返すところも心にずっしりと来るものがあります。そして、終わりにかけては急加速して、最後の部分では再びティンパニのこれでもかという乱打を聴くことができます。今となっては絶対に不可能ですが、アーベントロートは実演で聴いてみたかった演奏家の一人なのです。

太宰治「走れメロス」がパチスロ化

 某だいちゃん様のところで話題になっていたので、ぱくらせていただきますた。|ω・)

 太宰治「走れメロス」がパチスロ化。演出が相当おかしい

 なるほどいろんな意味でぶっ飛んでいます。_| ̄|○

 私はパチンコしませんけど、打ちながら吹きそうな内容で、集中して打てないんじゃないかと。それが目論見だったりするのかもしれませんが。


 個人的には太宰治は『人間失格』の印象が強すぎて、どん底もどん底の超退廃という思いこみが激しいんですが、『走れメロス』だとか『パンドラの匣』とか、前向きな作品もかなりあったりします。もっとも、その激しい落差というか二面性のようなところが、太宰治の複雑さでもあり魅力なのかもしれませんが。

 因みに、パチスロのメロスは熱血スポ根漫画風ですが、集英社文庫版のメロスは『テニスの王子様』風の表紙です(表紙だけで本の内容はふつうの文庫本と同様、文字だけです)。

京都のお寺探訪(養源院・三十三間堂・清水寺・安祥院)

 京都女子大学周辺には、観光名所になっているお寺がたくさんあります。そのうちのいくつかは、中学生の頃に行ったときがありますし、まあいつでも行けると思っていたのもあって、いつも前を通り過ぎるだけでした。

ファイル temples_kyoto_20101026.jpg 三十三間堂もそんな観光名所寺院のひとつで、京都駅から京女に向かうバスの通り道にもなっています。三十三間堂は後に行くとして、今日はそのとなりの奥まったところにある、養源院というお寺に行きました。門のところには「血天井」と書かれた高札が立てられています。このお寺の隣(七条から見たらひとつ奧)は、先々週に行った法住寺です。

 養源院は、もともとは淀殿が父の浅井長政を追悼するために建てたお寺ですが、後に徳川秀忠の夫人によって再建されたため、豊臣家にも徳川家にも関係が深いという、複雑な(?)事情を抱えたお寺です。

 再建したときに、伏見城の一部を移築して本堂としたのですが、その天井の一部には、伏見城が落城したときに武将たちが自刃した廊下の板を使っています。伏見城が落城したのは1600年の夏ですが、武将たちの遺体は長期間放置されていたようで、腐敗した血脂が廊下の板に染み込み、現在でも人の形や、手形・足形を留めています。また、このお寺には俵屋宗達が描いた襖絵・杉戸絵(重要文化財だが「国宝」という案内板がついている)があります。

 
ファイル temples_kyoto_20101026-2.jpg 拝観には五百円が必要ですが、係の人がついて解説をしてくれます。血天井のところでは、長いタケの棒で「ここが顔でここが手です」などと示しながら解説してくれました。他の場所は、ふだんはテープによる解説だけらしいのですが、今日はどこかの大学の先生が学生を引き連れて見学に訪れていたため、住職の方(?)が自ら詳しく解説して下さり、私もその団体に混じって話を訊くことができました。

 宗達が描いた、松をデザインした襖絵のある部屋では、「江戸時代には電燈がありませんでしたから、障子からの光が仏像などの金色に乱反射して、襖絵を照らすことを計算して描かれたのです」と、電燈を消して障子からの明かりだけで室内を照らして解説して下さいました。雲が通ると陽が翳り、再び陽が差し込む、それが繰り返されるたびに襖絵の表情が次々と変わっていきました。電気の力ではなし得ない、自然の力を最大限に利用した、奇跡的な瞬間を見た気がしました。

 でも、御朱印は「いまはやっていない」とのことで断られてしまいました。(´・ω・`)ガッカリ・・・

ファイル temples_kyoto_20101026-3.jpg ついでなので、三十三間堂にも寄ってきました。京都を代表するお寺のひとつでもある、この有名な観光地には、中学生のときに一度来たきりですが、千体(中央の巨像も併せると千一体)の観音様の大迫力は圧倒的です。表側は大迫力なのですが、裏側に回るとたった一体だけ、中央の巨像の背後にもポツンと佇んでいる観音像があり、それが気になって気になって仕方がありません。
 京女に行くときはいつもバスの窓から見てはいたのですが、数十回も素通りしてしまった埋め合わせ(?)に、いったん外に出てからもう一度お堂に入り直して、二巡してきました。ついでに、ここでしか入手できない限定アイテムの「銘香 三十三間堂」もげっとしてきますた。

ファイル temples_kyoto_20101026-4.jpg 三十三間堂も京女からすぐ近くですが、やはり有名なお寺である清水寺も歩いて15分ぐらいのところにあり、帰りに寄り道してきました。清水寺には今年の春の夜間参拝にも来たのですが、昼間に来たのは、三十三間堂と同じく中学生の時以来ではないかと思います。
 ここも超有名な観光地でして、人出の多さは三十三間堂の比ではありません。寺院なのか観光地なのかわからないぐらいの人波で、お詣りどころではない感じ。悪く云うわけではないのですが、些か幻滅して、サッサと一巡して帰ることにしました。もっとも、御朱印は四箇所(本堂・阿弥陀堂・奥の院・不動尊)コンプリートしましたし、清水寺限定アイテムの「銘香(以下略

ファイル temples_kyoto_20101026-5.jpg 清水寺から五条坂を下り、東大路のバス停に行く途中、「日限地蔵」の表示がある、小さなお寺がありました。そのまま通り過ぎたのですが、そういえば岡山にも同じ名前のお地蔵さんがあったなあと思い、また引き返して、その小さなお寺に立ち寄りました。
 安祥院という浄土宗のお寺で、御本尊は阿彌陀如来なのですが、本堂の扉は閉められていて、お顔を拝むことはできませんでした。別のお堂に祀られている「日限地蔵」は、ふつうイメージする丸顔のお地蔵さんというよりも、まるで如来さまのような顔つきのお地蔵様でした。
 御朱印をいただいて、偶々出てきたご住職の方と話し始めたところ、すっかり話し込んでしまい、「折角ですから御本尊にもおうていってや」と本堂にも上げていただきました。

 「なまんだぶ なまんだぶ ...」

とお経も読んでいただきました。阿彌陀如来の立像は、ほとんど眼を閉じられたような、安らかな顔つきに思えました。このお寺を開かれた木喰正禅上人は、いまも安祥院の墳墓で入定されたまま即身佛となっていると伝えられているそうで「きっと上人も、そのように合掌されていることでしょう」。通り過ぎたのに再びここに戻ってきて、そして御縁を頂いたことに感謝しつつ、バスの時間に遅れないよう、辞去しました。来年以降、また京都に来られるかどうかはわかりませんが、京都に来る機会があるときには是非、立ち寄りたいお寺のひとつになりました。

 お寺で頂いたパンフレットを見て知ったことですが、安祥院は「京都六阿彌陀」巡礼の第四番だそうです。実は清水寺の中にある阿彌陀堂が第三番、先週行った「倒蓮華寺」安養院が第五番、その以前に行ったときのある誓願寺が第六番だそうで、そうすると、残るは東山に真如堂と永観堂の二箇所でコンプリートすることになります。

 今日、安祥院のところで引き返したことも含めて、阿彌陀如来さまの不思議な御縁を感じた一日でした。南無阿彌陀佛。

SK43逝く

ファイル 79.jpg 長い間、自宅の主機として使っていた、Shuttle SK43 が動かなくなりました。
 
 (-人-)合掌

 SK43 は既製品ではなくて、ベアボーンという半完成品で、筐体とマザーボードと電源だけが組み込まれており、CPU・RAM・ドライブ類は自前で用意して組み込むというものでした。

 大体2003年頃に組んだものだと思うので、約七年働いたことになります。博士論文もこれで書きました。キューブ型で場所も取らず、大変気に入っていたんですけど、さすがにもう寿命だと思います。。

 今年に入ってから、何となく動作が不安定になってきたこともあって、主機の地位は別の PC に譲りましたが、その後も副機として巫女GNYOで走らせていますた。

 しかし、ついに電源を入れると通電して冷却ファンは回るもののBIOSが出なくなり、映像出力がダメになったか、あるいは電源出力が低下したか、よくわかりませんが、直すにはかなりの手間と費用がかかりそうな雰囲気。ですので、そろそろ観念して廃棄する決心を固めますた。

ファイル 79-2.jpg 因みに、CPU は Athlon XP 2500+ で、価格の割にはかなり優秀な働きをしてくれたと思います。これを使い始めた頃から Athlon 信仰を深めていったのでした。実は、この PC を組んだ当時、全く同じ構成の PC をもう一台組んで、片方は大学、片方は自宅で使っていました。いわゆるリムーバブル・ケースで取り付けたハードディスクを自宅と大学の間で往き来させていたのです。

 そのもう一台の分身のほうはまだ健在(?)で、サウンドカードの良いのを突っ込んで音楽を聴くために使っています。それでも、いつ寿命が尽きても、おかしくはないのですけど。写真の奧にある、全く同じキューブの PC も SS56 という、同じ Shuttle 製のベアボーン機です。こちらは、SK43 よりも前に組んだもので、ゲーム用に使っていたりしたものです。こちらは、Socket 478 で Intel 製の CPU を搭載でき、いまは Pentium IV 2.8 GHz が入っています。出た当時はそれなりの話題をさらった Pen IV も、いまとなっては投げ売り状態になってしまいました。

 主機の地位には既に、別のPCが収まっていますので、しばらくは新しい PC を買う必要は無いのですが、次に導入するのは Athlon II か Phenom II になるんですかね。i7 何それおいしいの?

ヘビに注意!

 岡山大学の近くには、津山線の駅名にもなっている、法界院というお寺があります。真言宗のお寺で、それなりに長い歴史があります。また、観音巡礼の霊場にもなっています。

 以前にもお詣りしたときはあったのですが、後で知ったところによれば、裏山には四国八十八カ所を模した霊場巡りが有るとのことで、再度お詣りに行ってみることにしました。

 しかしですね、お寺まで行ったのは良かったのですが、雨が降り始めてしまったのであえなく敗退。近所ですので、また天気の良い日に出直してくるます。(´・ω・`) とりあえず、本堂の裏手に有る墓地から、裏山の方に向かって巡礼路が整備されているということはわかりましたので。

ファイル snake_caution.jpg ところで、大学の敷地の西半分を大きく占めている農場にはヘビさん(たぶんシマヘビ)が沢山生息していて、こんな張り紙が各所に貼られています。家に帰るときにも、よく道路を横断するヘビに出くわすこともありますし、道路の真ん中で踏まれて死んでいるヘビもたまに見かけます。

 東京に住んでいるときには、わりと自然が多い地域だったので、たまに庭でヘビさん(アオダイショウ)を見ましたが、そういえば富山ではほとんどヘビさんを見ませんでした。岡山に来て、再びヘビを見るようになったのですが、もしかして、雪が降ったりするところには、寒くてあんまりヘビもいないのかも知れません。

Thinking Power Notebook

 授業の関係で、今週からしばらくは土曜日も出勤することになりました。もっとも、一日ではなくて、昼前から夕方までですが。この土曜出勤は、十二月の半ばまで続く予定。

 授業と言っても、私自身が担当している科目ではなくて、別の大学の先生が担当している授業を岡大でも放映するためです。

 ところで。私の大好きな「ツバメノート」から、こんな新製品が出ていました。

 

 横長のノートとかもいいんですが、何よりも、(きっと)ロディアのメモ帳と向こうを張ることの出来る質と思われる、A6版とか…

 

A7版とか名刺版とかのメモ帳に激しく萌。(*´д`*)ハァハァ

 


 ホシィッ☆O(> <)o☆o(> <)O☆ホシィッ

さよならメビウス

 各所で話題になっているので、ここでも便乗。

 ついに「メビウス」ブランドまで消滅…シャープもPC撤退 (ZAKZAK)

 …だそうです。最初にノートパソコンを購入したのは1998年で、大学四年生のときでした。そのときに買ったのが「PC-PJ1-98」で、当時としてはかなり軽量・薄型の製品だったかと思います。二台目もやはりメビウスで「PC-FJ30Z」という機種です。どちらも、当時は「銀パソ」と呼ばれる銀色の筐体で、一種の流行になっていました。

 三台目のノートはレッツノートで、シャープからは離れてしまいましたが、それでも心はメビウスが一番と思っていて、四台目はMuramasaに戻ってきました(PC-MM1-H5W)。これも軽量で持ち歩きには便利でしたが、その頃には普段使いのパソコンはノートPCからデスクトップPCへと変わってしまい、ノートの出番があまりなくなってしまっていました。

 いやあ、なんと言っても「メビウス」っていう名前が格好いいじゃないですか。メビウスを使っているときの壁紙は、パソコンのオマケに着いてきた「メビウスの輪」を題材にしたシャープの壁紙を使ったりするぐらい、気に入ってました。

 その後、映像処理とかネットゲームとか、高負荷の用途が増えるようになって、メビウスなど家電業者の出来合い製品は流行らなくなってしまったのだろうと思います。時々「何とか手持ちのパソコンでゲームがしたい」という話を聞いたりしましたが、たいていそのような場合にはメビウスで、しかも、とてもゲームを快適に出来るような性能では無かったりしました。

 最近はゲームどころではなくなってしまったので、高性能のパソコンにはあまり興味が無くなりましたが、またそのうち儲かったら、出かけるときに持ち歩けるようなノートも欲しいかなあと思ったりします。そんなときでも、最初に買ったメビウスの面影を引きずっていて、銀色で薄型でB5じゃないと、どうも気が済まないんです(だから ThinkPad が嫌いなのです)。

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