やっと、最上稻荷の大鳥居までたどり着きました。じつはこの鳥居だけは、数年前にはじめて岡山に来たときに見た記憶が有ります。
岡山に初めて来たのは2003年の事で、くらしき作陽大学で開かれたゴールドシュミット国際会議(Annual V. M. Goldschmidt Conference)に参加するための来岡でした。岡山空港から倉敷に行く途中、最上稻荷の近くを通るのが近道なので、その時に空港バスの窓から大鳥居を見たのでした。
もっとも、目的地が倉敷だったので(しかも一泊だけ)、その数年後に住むことになるとは思ってもいなかった岡山は素通りでしたが。
大鳥居から最上稻荷までは一本道で迷うことは無いのですが、困ったのは自転車を置く場所が見つからないという事でした。山門へと続く参道は仲見世と云うのか、細い商店街になっていて、その中に自転車で乗り入れてしまったのですが、途中から石段混じりの道になって往生しました。
仕方が無いので、近くのお店の人に教えてもらった裏道から最上稻荷の駐車場に抜け、すみっこの方にコッソリと(?)自転車を置かせてもらいました。
鳥居もあるし、最上稻荷という名前からしても神社のようですが、江戸時代以前からの神仏習合の流れを汲んでいるためにそう見えるだけで、実態は日蓮宗の仏教寺院(妙教寺)です。もっとも、少し前までは「最上稻荷教」として日蓮宗から独立していた時期もあり、その歴史は些か複雑のようです。
その山門は、戦後になって再建されたという鉄筋コンクリート造りの、インド風の門でした。
境内はそれなりに広いのですが、何よりも本殿(霊光殿)は壮大で、巨大なしめ縄ともども圧倒される規模です。但し、この建物自体は歴史的なものではなくて、最近作られたものではありますが。
たいへんな人出でごった返すという初詣ほどではないですが、境内には多くの参拝者が途切れることはなく、本殿の中からは御祈祷の修法と木鉦の音が絶え間なく聞こえていました。
せっかく日蓮宗のお寺にお詣りするので、新しく御朱印帳を求めて、日蓮宗系専用の「御首題帳」とする事にしました。観光地のように大きな売店があり、そこで新しい御朱印帳を購入し、受付で御首題をお願いしたのですが、「妙法」という、一般的な墨書しか頂く事ができませんでした。
むしろ、歴史的な建物という意味では、本殿の背後にある旧本殿(霊応殿)のほうが趣があります。江戸時代の建築で、長い廂のような部分を持つ特徴的な建物です。見た目は、お寺というよりも完全に神社の社殿です。
その周囲には七十七末社と呼ばれる、小さな祠が取り囲んでいて、お線香を一本一本上げながら一巡するのが習わしになっているようです。
こんなふうに、神社とお寺の中間のような感じで、まさに神仏習合という不思議な空間ではあります。
さて、その旧本殿の近くから、裏山へと続く山道を登って、奥の院へと向かうことにしました。お題目が書かれた石碑や、お稻荷さんの祠などが並ぶ石段を登って行くのですが、やがて急な石段となり、ちょっとした登山の気分です。