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『気のいい火山弾』

 宮沢賢治の童話の中で、いま、とても心に残っているのは『気のいい火山弾』という作品です。

 火山弾というのは、火山が噴火したとき、まだドロドロの溶岩の塊が火口から放り出され、空中で回転しながら固まって地面に落ちてきたものです。空中でぐるぐると回りながら固まったため、ふつうの石ころとは違った、変わった形をしている場合が多いのですが、この話に出てくる「ベゴ石」と名付けられた火山弾は「紡錘状火山弾」と呼ばれるもので、

ベゴ石は、稜がなくて、丁度卵の両はじを、少しひらたくのばしたやうな形でした。

 このベゴ石は、

非常に、たちがよくて、一ぺんも怒ったことがないのでした。
 それですから、深い霧がこめて、空も山も向ふの野原もなんにも見えず退くつな日は、稜のある石どもは、みんな、ベゴ石をからかって遊びました。

そんな風に、他の石たちや草たち、蚊や、はては自分の上に生えた苔からもからかわれ、馬鹿にされてしまいます。しかし、ベゴ石はいやな顔ひとつせず、静かに笑って過ごすのでした。

 この物語の最後は、近くを通りかかった学者たちによって、その素晴らしい資料価値を認められたベゴ石が、帝国大学の地質教室へと運ばれていくところで終わります。これまでずっと、虐められ続けてきたベゴ石にもやっと認められるときがきた…というほど、この話は単純ではないように思えます。

「さあ、大切な標本だから、こはさないやうにして呉れ給へ。よく包んで呉れ給へ。苔なんかむしってしまはう。」
 苔は、むしられて泣きました。火山弾はからだを、ていねいに、きれいな藁や、むしろに包まれながら、云ひました。
「みなさん。ながながお世話でした。苔さん。さよなら。さっきの歌を、あとで一ぺんでも、うたって下さい。私の行くところは、こゝのやうに明るい楽しいところではありません。けれども、私共は、みんな、自分でできることをしなければなりません。さよなら。みなさん。」

 私は、この「苔は、むしられて泣きました。」の一節を読むたびに、無性に悲しく、胸が締め付けられるような苦しさを感じます。

 本当は、苔もベゴ石のことを好きだったんじゃないだろうか?
 そんなことを考えました。

 ベゴ石は明るい陽光の輝く野原から、暗い大学の研究室へと送られていくのですが、ここに至って、ベゴ石をいじめ続けた苔すらも悪者ではなく、生きとし生けるもの、あらゆる自然への、ベゴ石のそして宮沢賢治の抱く愛おしさが、この一節に凝縮されているように思えるのです。

 因みに。宮沢賢治の童話集は色々な文庫本で発売されていますが、この話はほとんどの文庫本には収録されていないようです。しかし、昨日紹介した、ぶんか社文庫版の『銀河鉄道の夜』には珍しく収録されています。

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