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京都のお寺探訪(養源院・三十三間堂・清水寺・安祥院)

 京都女子大学周辺には、観光名所になっているお寺がたくさんあります。そのうちのいくつかは、中学生の頃に行ったときがありますし、まあいつでも行けると思っていたのもあって、いつも前を通り過ぎるだけでした。

ファイル temples_kyoto_20101026.jpg 三十三間堂もそんな観光名所寺院のひとつで、京都駅から京女に向かうバスの通り道にもなっています。三十三間堂は後に行くとして、今日はそのとなりの奥まったところにある、養源院というお寺に行きました。門のところには「血天井」と書かれた高札が立てられています。このお寺の隣(七条から見たらひとつ奧)は、先々週に行った法住寺です。

 養源院は、もともとは淀殿が父の浅井長政を追悼するために建てたお寺ですが、後に徳川秀忠の夫人によって再建されたため、豊臣家にも徳川家にも関係が深いという、複雑な(?)事情を抱えたお寺です。

 再建したときに、伏見城の一部を移築して本堂としたのですが、その天井の一部には、伏見城が落城したときに武将たちが自刃した廊下の板を使っています。伏見城が落城したのは1600年の夏ですが、武将たちの遺体は長期間放置されていたようで、腐敗した血脂が廊下の板に染み込み、現在でも人の形や、手形・足形を留めています。また、このお寺には俵屋宗達が描いた襖絵・杉戸絵(重要文化財だが「国宝」という案内板がついている)があります。

 
ファイル temples_kyoto_20101026-2.jpg 拝観には五百円が必要ですが、係の人がついて解説をしてくれます。血天井のところでは、長いタケの棒で「ここが顔でここが手です」などと示しながら解説してくれました。他の場所は、ふだんはテープによる解説だけらしいのですが、今日はどこかの大学の先生が学生を引き連れて見学に訪れていたため、住職の方(?)が自ら詳しく解説して下さり、私もその団体に混じって話を訊くことができました。

 宗達が描いた、松をデザインした襖絵のある部屋では、「江戸時代には電燈がありませんでしたから、障子からの光が仏像などの金色に乱反射して、襖絵を照らすことを計算して描かれたのです」と、電燈を消して障子からの明かりだけで室内を照らして解説して下さいました。雲が通ると陽が翳り、再び陽が差し込む、それが繰り返されるたびに襖絵の表情が次々と変わっていきました。電気の力ではなし得ない、自然の力を最大限に利用した、奇跡的な瞬間を見た気がしました。

 でも、御朱印は「いまはやっていない」とのことで断られてしまいました。(´・ω・`)ガッカリ・・・

ファイル temples_kyoto_20101026-3.jpg ついでなので、三十三間堂にも寄ってきました。京都を代表するお寺のひとつでもある、この有名な観光地には、中学生のときに一度来たきりですが、千体(中央の巨像も併せると千一体)の観音様の大迫力は圧倒的です。表側は大迫力なのですが、裏側に回るとたった一体だけ、中央の巨像の背後にもポツンと佇んでいる観音像があり、それが気になって気になって仕方がありません。
 京女に行くときはいつもバスの窓から見てはいたのですが、数十回も素通りしてしまった埋め合わせ(?)に、いったん外に出てからもう一度お堂に入り直して、二巡してきました。ついでに、ここでしか入手できない限定アイテムの「銘香 三十三間堂」もげっとしてきますた。

ファイル temples_kyoto_20101026-4.jpg 三十三間堂も京女からすぐ近くですが、やはり有名なお寺である清水寺も歩いて15分ぐらいのところにあり、帰りに寄り道してきました。清水寺には今年の春の夜間参拝にも来たのですが、昼間に来たのは、三十三間堂と同じく中学生の時以来ではないかと思います。
 ここも超有名な観光地でして、人出の多さは三十三間堂の比ではありません。寺院なのか観光地なのかわからないぐらいの人波で、お詣りどころではない感じ。悪く云うわけではないのですが、些か幻滅して、サッサと一巡して帰ることにしました。もっとも、御朱印は四箇所(本堂・阿弥陀堂・奥の院・不動尊)コンプリートしましたし、清水寺限定アイテムの「銘香(以下略

ファイル temples_kyoto_20101026-5.jpg 清水寺から五条坂を下り、東大路のバス停に行く途中、「日限地蔵」の表示がある、小さなお寺がありました。そのまま通り過ぎたのですが、そういえば岡山にも同じ名前のお地蔵さんがあったなあと思い、また引き返して、その小さなお寺に立ち寄りました。
 安祥院という浄土宗のお寺で、御本尊は阿彌陀如来なのですが、本堂の扉は閉められていて、お顔を拝むことはできませんでした。別のお堂に祀られている「日限地蔵」は、ふつうイメージする丸顔のお地蔵さんというよりも、まるで如来さまのような顔つきのお地蔵様でした。
 御朱印をいただいて、偶々出てきたご住職の方と話し始めたところ、すっかり話し込んでしまい、「折角ですから御本尊にもおうていってや」と本堂にも上げていただきました。

 「なまんだぶ なまんだぶ ...」

とお経も読んでいただきました。阿彌陀如来の立像は、ほとんど眼を閉じられたような、安らかな顔つきに思えました。このお寺を開かれた木喰正禅上人は、いまも安祥院の墳墓で入定されたまま即身佛となっていると伝えられているそうで「きっと上人も、そのように合掌されていることでしょう」。通り過ぎたのに再びここに戻ってきて、そして御縁を頂いたことに感謝しつつ、バスの時間に遅れないよう、辞去しました。来年以降、また京都に来られるかどうかはわかりませんが、京都に来る機会があるときには是非、立ち寄りたいお寺のひとつになりました。

 お寺で頂いたパンフレットを見て知ったことですが、安祥院は「京都六阿彌陀」巡礼の第四番だそうです。実は清水寺の中にある阿彌陀堂が第三番、先週行った「倒蓮華寺」安養院が第五番、その以前に行ったときのある誓願寺が第六番だそうで、そうすると、残るは東山に真如堂と永観堂の二箇所でコンプリートすることになります。

 今日、安祥院のところで引き返したことも含めて、阿彌陀如来さまの不思議な御縁を感じた一日でした。南無阿彌陀佛。

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