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583系「はつかり」が一日だけ復活したそうです

 富山に住んでいた頃、出張で長岡技大に行くときは、早朝の急行「きたぐに」で富山を出発し、帰りは深夜の「きたぐに」で帰富でした。こうすると、朝一番で先方に着くことができて、帰りは遅くまで仕事をしても、ゆっくりゴハンを食べてから帰ることができたのです。

 もっとも、富山で寝過ごすと、大変なことになりますが…(さいわい、そういうことはありませんでした)。(;´Д`)

 おそらく「きたぐに」は、(旧国鉄の路線では)最後に残されたふたつの定期急行列車のうちのひとつで(もう片方は青森 - 札幌の急行「はまなす」)、且つ、定期運用されている唯一の583系電車ではないかと思います。

 夜行列車にも使えるよう、組み立てると寝台になる座席を備えた車両で、座席として使う場合は、向かい合わせで固定された四人がけの枡席です。もちろん、背もたれを倒すこともできません。

 何せ青いから好きなんですが、 北海道に汽車で行ったときに乗った特急「はくつる」も583系でしたし、高校生のときコッソリと行った(家出じゃないです)青森旅行の帰りに乗った急行「津軽」も583系でした。また、北陸線の普通列車に使われていた車両も、583系を改造した車両が使われていました。そんなわけで、583系には大変思い入れがあります。 青いですし。

 その583系も使われていた特急「はつかり」が一昨日、一日だけ復活したのだそうです。わざわざこの手の「企画列車」に乗りに行くほどでもないし、基本的に定期列車じゃないと萌えないのですが、年代的にももう583系自体がそろそろ見納めなのかも知れません。「きたぐに」にも、大阪から新潟まで通しで乗っておきたかったのですが、無理矢理新潟に行く出張でも考えない限りは、もう無理かもしれません。(´・ω・`)

 というか、旧国鉄の急行列車が無くなりそうなだけではなく、特急列車も絶滅危惧種になりつつあるようです。子どもの頃に住んでいた赤羽は、東北本線や上越線・信越本線方面への特急・急行列車が全部集中していたので、交通公社の時刻表(国鉄の時刻表はまだありませんでした)が真っ黒になるぐらいに過密な、優等列車のダイヤが組まれていました。赤羽駅には、急行列車は停まりましたが、特急列車は停まりませんでした。しかし、踏切のところで見ていると、青森から来る「はつかり」はもちろん、東北や上信越・北陸からの特急列車と、それと同じ区間を走る急行列車が次々と通り過ぎていきました。それを見て、遠くの街を旅することを夢見ていた…のではなくて、そういう長距離列車に乗ること自体を夢見ていたのが、鉄の道に入り込んで行く、なんかの間違いだったようです。|ω・`)

 東北・上越新幹線の開通で、それらが一気に無くなってしまい、文字通り時刻表が真っ白になるような、ダイヤの「白紙改正」になってしまいました(1982年ごろ)。そのときは子供心にも、色とりどりの夢を乗せて走っていた列車たちが全部、新幹線の白一色に塗りつぶされてしまうような寂しさを感じたのを、覚えています。

 最後に残された、古き佳き時代の列車のたびは、新潟 - 青森を走る特急「いなほ」ぐらいかも知れません。

 新潟の出張と無理矢理くっつけて青森いやなんでもあ(ry

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