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新日吉神宮と豊国神社

 本日の京都自社巡りは、新日吉神社です。もういきなり何のために京都に行っているんだと云われそうですが、仕事はちゃんとやっていますので、念のため。

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 東山七条から京都女子大学に向かう途中の坂道は「女坂」と云うのだそうですが、その坂の、京女のすぐ下にある神社が「新日吉神宮」です。「しんひよし」ではなくて「いまひえ」と読みます。いつも、京女に往き来するバスの窓から見ていたので、存在は知っていたのですが、お詣りするのは今日がはじめてでした。

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 境内にはいると、ふつう(?)は狛犬が置いてある位置に、この神社の場合は一対の、阿吽のお猿さんの像が(檻に入れられた状態で;)安置されていました。「日吉」という名前や、「猿」からの連想から、豊臣秀吉に縁のある神社かと思っていました。しかし、実際には豊臣秀吉とはあまり関係が無いようで、創建は更に時代をさかのぼった平安末期の後白河上皇によるものだそうです。

 とはいえ、豊臣秀吉と全く無関係というわけでもないようです。この神社から京都女子大の方に坂道を登って行き、突き当たったところは豊臣秀吉の墓所である豊国廟ですが、その秀吉公を祀った豊国神社が江戸時代に廃れそうになったとき、ご神体を新日吉神社に移していたこともあったのだそうです。

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 このお猿さんは「魔去る」霊験あらたかだそうで、携帯電話の待ち受け画面にドウゾ、という案内の看板が置いてありました。早速、携帯電話の待ち受け画面に採用させていただきましたが、やっぱり元のものに戻しました。(´・ω・`)

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 小さな神社で、お詣りはすぐに済んでしまいました。拝殿の周りには、天神様など、いくつかの末社が祀られていました。拝殿わきの紅葉は、もう色づき始めていました。
 社務所に御朱印をいただきに行ったところ、文字を書ける人(神主さん?)が留守だそうで、代わりに既に半紙に書かれている物を頂いてきました(初穂料は300円)。必ずしもいつも在宅というわけではないから、どうしても直接書いて欲しい場合は、事前に電話か何かで問い合わせてください、とのことでした。

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 帰り道は、新日吉神宮から東山七条に下り、豊国神社にも寄ってきました。こちらこそ正真正銘の秀吉公を祀った神社です。

 国宝の唐門は秀吉公が築いた伏見城の門を移築したものです。ここから先、拝殿の方には入ることが出来ないようで、門のところでお詣りを済ませました。御朱印は「壽比南山・福如東海」という詞が書かれていて、これは関白印の銘だそうです。

 |-`).。oO(・・・・御朱印頁作ろうかな・・・・・)

 豊国神社のとなりは方広寺で、豊臣家滅亡の直接の原因となった「国家安康」「君臣豊楽」の文字が刻まれた梵鐘が今に伝えられていますが、既に拝観時間は終わった後で、鐘楼の外から遠巻きに梵鐘だけ見てきました。ここは、また別の機会に。

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