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京都のお寺探訪(妙法院門跡・香雪院・知恩院)

 先々週に行った三十三間堂(蓮華王院)は、一見すると独立の寺院のようにも思われますが、実際のところは妙法院というお寺の一部(飛び地境内?)ということのようで、現在でも三十三間堂の維持管理は、妙法院によって行われているのだそうです。この妙法院は、京都女子大学のすぐ隣にあって、いつも前を通るのですが、普段は公開されていません。しかし、いまは秋季特別公開中とのことで、拝観に行ってきました。

ファイル temples_kyoto_20101109.jpg ところで、どうでもいいことではありますが。妙法院の前の東山七条の交差点のところに立っている、案内板の中国語が変である件。
 やはり先々週に行った「血天井」で有名な養源院というお寺の中国語が、なぜか「養起源院」になっています。「源」は「みなもと」ですから、意味の上からは「起源」でもいいんですが、固有名詞ですので、ふつうはそのまま「養源院」と漢字で書けばいいんじゃないかと。写真では「養」という字が簡体字になっていますが、そうすると、その上の「三十三間堂」の「間」も簡体字で描くべきではないかと思われ。いつもバスの窓からこの看板を見ていて、激しく気になっていますた。

ファイル temples_kyoto_20101109-2.jpg さて、普段は非公開の妙法院ですが、今年は11月3日から14日まで公開されているそうです。国宝に指定されている庫裏の入り口で拝観料800円を支払い、内部に入りました。この特別公開では、京都にある大学の学生がボランティアで解説をしてくださいます。妙法院の場合は、京都女子大学の古美術研究会の人たちが担当になっていました。
 妙法院「門跡」と呼ばれるように、門跡寺院、つまり皇室とゆかりの深い寺院であるため、本堂よりも皇室関係の施設のほうがずっと大きい規模を持っています。本堂は敷地の隅の方にひっそりと建っており、質素な感じもします。同じ寺院が所管している華麗な三十三間堂とは対照的だと思います。
 面白いことにこの寺院の本尊は普賢菩薩で、象に乗った姿の仏像です。普賢菩薩はふつう、釈迦如来の二体ある脇侍仏の一体(もう片方は文殊菩薩)である場合が多いのですが、こうして単独の本尊として祀られているのは、多分初めて見たように思います。
 このお寺の庫裏は国宝で、いってみれば「国宝のお台所」ですが、それ以外にも「ポルトガル国印度副王信書」という国宝があります。秀吉に宛てて書かれた外交文書で、キリスト教徒に対する弾圧を緩めて欲しいという内容のものです。宝物庫では、この文書をはじめ利休の茶杓など、貴重な品々を間近に見ることができます。

ファイル temples_kyoto_20101109-3.jpg 妙法院から見たら真後ろあたり、京女附属小の隣には「香雪院」という小さな寺院があります。いつもJ校舎での講義が終わったあと、本部のある建物に戻る途中、ここの前を通ってはいたのですが、今日は初めてお詣りに行ってみました。周囲を京女の建物や、住宅などに囲まれてひっそりと佇むお寺でした。
 雪の研究(まだ止めてませんよ?)をしている関係で、「雪」という文字には人一倍敏感なのですが、お寺の名前に「雪」とか入っていると、大変気になります。おそらく、「雪」の名前が使われているお寺って、そんなに無いんじゃないかと思います。

ファイル temples_kyoto_20101109-4.jpg こうした小さいお寺の場合、ふつうは一寸入りにくい場合が多いように思います。逆に、観光地になっているような大きいお寺だと入りにくいということはないですが、宗教的な雰囲気は削がれる気もします。
 ところがこのお寺は、門を入ったところには「ご自由にお参り下さい」という標柱が置かれ、手作りのお寺の案内図なども掲げてありました。それに導かれるままに入った小さな境内には、本堂の他にもいくつかのお堂が有り、まるで小さな箱庭のような雰囲気でした。
 御朱印を頂くために立ち寄った庫裏では、高校生か大学生ぐらいと思われる、若い女性の方が対応して下さいました。その方が住職なのかどうかはわかりませんが、少なくともこのお寺は尼寺で、中部尼寺巡礼の十一番の札所にもなっています。というか、そういう巡礼が有るんですねえ。

 講義が終わってからは、京女から知恩院まで歩いていきました。知恩院にお詣りすることは、実はあんまり考えていなかったのですが、深見教授から「知恩院には行かないの?」といわれて、だったら行ってみようと、急遽決めたのでした。

 その知恩院に着いたのは十五時半頃だったのですが、どうもこの季節は十六時で閉門してしまうらしい。

 たいへーん! 折角ここまで来たのに引き返すのもイヤなので、国宝の三門から急いで急な石段を上り、御朱印をきっちり三種類いただいて、これまた国宝の御影堂でのお念佛もそこそこにして、法然上人の廟がある勢至堂までたどり着いたら、もう「そろそろ閉門です」という放送が流れ始めていました。

 知恩院に来たら、どうしても寄りたいところが一箇所ありました。それは、日本人ではじめてノーベル賞を受賞した、湯川秀樹博士のお墓でした。とはいえ、知恩院にあることは知っていましたが、具体的にどのあたりに有るかは、知りませんでした。

 御朱印を頂いたところで訊いた話では、どうやら勢至堂あたりから行けるらしい、というわけでそこまで来てみたものの見当も付かず、御朱印ももらったしまた今度にしようかと思い始めたところで、おそらく知恩院の関係者の方と思われる方が通りかかったので、ダメ元で尋ねてみたところ、有り難いことにお墓まで案内して下さることになりました。

ファイル temples_kyoto_20101109-5.jpg 「はじめて来られたら、わからないですよねえ」と言いながら案内された場所は、方丈庭園の裏あたりで、斜面に開かれた墓地の一角でした。もう既に閉門時間は過ぎており、お寺としての日課が始まっているのか、鐘の音が遠くから聞こえていました。「どうぞ、ごゆっくり」と、案内して下さった方は墓地の奥の方に去って行かれました。
 私は物理学者ではないし、湯川秀樹博士の本も読んだことはないし、ノーベル賞を受けるなどとはとても思えませんが、それでも「そうだ、雪の研究ガンバロウ」。

 閉門の時間は過ぎてしまっていましたが、咎められることもなく、円山公園の方へと続く出口から下ってゆきました。

 この後、雪の研究ではなくて、別のところでガンバッタようで、結局、四条河原町まで歩いて買い物をしたのち、寺町を市役所前まで歩きました。そんなわけで、今日は東山七条→京女→知恩院→四条河原町→御池通と、10kmぐらいは歩いたことになるかも知れません。いい運動になりました。

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