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初夏の吉備路を最上稻荷へ(その二)

 さて、最上稻荷に来た時にはいつも、本殿に上がってお詣りすることにしています。最上稻荷のサイトにも、その事が説明されているのですが、以前から気になっていたのが:

参拝者の祈願成就のために、毎日定時に本殿(行事で使用できない場合は旧本殿)にて祈祷が行われます。祈祷受付でお申込みください。

というところの、「行事で使用できない場合は旧本殿」の一文。

 壮大な新本殿もそれはそれで良いんですが、歴史的な建造物である旧本殿に上ることが出来る(かもしれない)となると、何時だったらそういう貴重な機会が得られるのか、激しく気になります。

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 そこで、受付の人に「どういう(行事がある)時に、旧本殿でのご祈祷が受けられるのか」ということを訊いてみたところ…どうやら、特に何かの行事がなくても、受付に「和尚」さんさえ居れば旧本殿でのご祈祷は常時可能ということがわかりました。

 そういうわけで、旧本殿でのご祈祷決定。電話で「和尚」さんが居られることを確認してもらい、旧本殿に向かいました。受付では「和尚」さんとおぼしき方が、震える手で申込書を確認して下さいました。

 旧本殿は江戸時代の建造物で、神仏習合の様式を色濃く残した建物です。通常の神社と同様、拝殿の奧に本殿が祀られているという形式です。しかし、拝殿の手前にはひさし状の長い屋根がつけられているのは、他ではあまり見られないようです。

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 指定された時間になったら、「和尚」さんが袈裟を纏って出てきて、拝殿(上の二枚の画像中央の、一段高い部屋)に上がるようにと教えてくれました。拝殿自体は小さな建物ですが、長い歴史を経た空気が張り詰めていました。「和尚」さんが震える手でろうそくの火を点け、お線香を立てました。

 最上稻荷でご祈祷を受けると、通常は新しい方の本殿で七人がかりぐらいでお経を上げてもらう事ができて(日蓮宗独特の修法ともども)、それはそれで結構な迫力なんですが、こちらの旧本殿では「和尚」さん一人のの消え入りそうな読経の声で始まりました。

 ところがです。いつもなら十五分ぐらいで終わってしまうのに、三十五分にもわたって丁寧にご祈祷を行っていただき、ここぞというところでは年季の入った老僧の、心の底から絞り出すような声が神々しさすら感じさせるものがありました。

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 一通りのご祈祷が終わった後は拝殿の外に導かれ、拝殿の背後に控える本殿(上の画像の右側が拝殿、一段高くなっている左奥の建物が本殿で、縁側伝いに本殿に進むことができる)の、最上様の像にお詣りすることができました。ほとんどシルエットのようにしか拝むことができませんでしたが、たしかに羽衣を纏った最上様のお姿でした。たぶん、この最上位経王菩薩像が、古来から最上稻荷に伝えられている本尊の像なのではないかと思われます(間違っていたらすみません、今度行った時に訊いてみます)。

 因みに、お前立ち(?)には日蓮聖人の大曼荼羅を背景に立つ釈迦如来と思われる立像(制作年代はわりと新しい物のようです)が安置されていました(こちらの事も、また訊いてみようと思います)。

 そういうわけで、旧本殿での大変ありがたいご祈祷を受けることができて、さらに自転車に乗って良い運動にもなって(往復で40km弱程度?)、いろんな意味で充実した休日でした。( ´ー`)

初夏の吉備路を最上稻荷へ(その一)

 いつか、よめさんを連れて行こうと思っていたものの、ずっと延び延びになっていた最上稻荷へのサイクリングに行ってきました。去年の晩秋に一人で行ったときはあるのですが、二人連れで行くのは今回が初めてでした。

 実はこの五月にも、県外からのお客さんを連れて行ったばかりなのですが、その時は鉄道とタクシーを乗り継いでの参拝でした。

 日が高くなると暑いので、なるべく早めにうちを出ようということで、七時前には津島を出発し、途中の吉備津神社で一休みして、大体二時間ぐらいで最上稻荷に着きました。まだ梅雨明け前ということもあり、時々通り雨がぱらついたりもしましたが、さいわい濡れることもなく、ついでに道に迷うこともなく、たどり着くことができました。

 ちょうど七夕の前ということで、本殿の前などには七夕飾りがされていました。

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 ところで。どうでも良いことかも知れませんが、最上稲荷のドメイン名は「inari.ne.jp」という、たいへんわかりやすいものです。インターネットが普及する段階で先見の明?が有り手早く押さえたのか、それとも、ドメインの取り合いが有ったのか、定かではないですけど。因みに、「inari.jp」は流石の伏見稲荷、「inari.or.jp」は玉造稲荷でした。「inari.com」とか「inari.org」とかもドメインとしては存在はしているようですが、実用はされていないようです。